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薄鋼板とともに歩んだ40年


 

 

■著者:㈱特殊金属エクセル 取締役 細谷 佳弘(K50)

 

 名古屋工業会の皆様、はじめまして。
 今年から名晶会東京支部長を拝命しております細谷でございます。昭和50年に名工大を卒業して丁度40年になりますが、その間の母校に対する不義理を少しでも埋め合わせるべく、昨年秋に小山教授(4月から名古屋大学)からの名晶会東京支部長就任要請をお引き受けしました。

 新支部長の初仕事として、2/21に二杁名工会常務理事、加川名晶会理事長はじめ30名ほどのOB諸兄に東京にお集まり頂いて開催しました。新年交歓会の集合写真を添付させて頂きました(前列右端がK53北村副支部長、4人目が私です。)

新年交歓会

新年交歓会

 私は名工大金属工学科(宮崎研究室)を卒業 後、東北大の大学院に進学し2年間金属材料研究所で修士論文をまとめた後、昭和52年に(旧)日本鋼管に入社しました。当時はまだ“鉄は国家なり”と言われるほどの業界でしたが、昭和48年に国内の粗鋼生産量が1億トンを超えて以降、日本の鉄鋼産業は今日まで1億トン前後を上下するレベルで推移してきました。取り分け平成12年(2000年)以降の中国の驚異的な粗鋼生産量の拡大によって、今では日本の粗鋼生産量の世界シェアは7%に満たない規模となっていますが、高品質の薄板製品に関してはまだ日本の鉄鋼メーカーの独壇場です。入社当時“鉄鋼5社”と言われた業界も、私が勤めていた日本鋼管も含め2003年以降上位4社が企業統合を果たし、今では粗鋼生産能力で見ると鉄鋼2社と言えるまで業界再編が進みました。
 私は、入社以来一貫して薄鋼板の連続焼鈍技術と該プロセスによる自動車用薄鋼板の開発に携わって来ました。2012年に60歳の定年を迎える直前の2008年、後進への置き土産として(財)JFE21世紀財団より「自動車用ハイテン─その誕生と進化の足跡─」を上梓しました。日本の自動車産業は世界をリードする産業に成長しましたが、日本の鉄鋼メーカーによって成し遂げられた自動車用薄鋼板の進化は、少なからず日本製自動車の国際競争力強化に貢献しました。
 2012年7月からは、冒頭の会社に移りましたが、同じ素材産業における規模と量の世界から少量多品種の高付加価値の世界への転身は、私に多くの刺激とサプライチェーンを縦断した新たな価値創造の面白さを教えてくれています。
 以下に、上記拙著の序章を要約して転載致しました。名古屋工業会の会員各位に日本における自動車用ハイテン開発の系譜についてご理解頂ければ幸いです。
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1. 黎明期(1950年代〜1960年代)
 1950年代は、日本のモータリゼーションの幕開けと同時に薄鋼板製造技術の基盤整備が進んだ時期です。1955年当時、我が国の鉄鋼メーカーにおける普通鋼冷延製品にはオープンリムド鋼が用いられていたのに対し、1957年に国内で稼動した上吹き酸素転炉製鋼法のその後の普及が低窒素鋼の溶製を可能にし、自動車用薄鋼板の品質向上に大きく貢献した。また、1960年代に入ってからは圧延速度が1500mpmを超える高速の連続冷間圧延機が次々に建設され、品質と供給能力の両面で自動車産業の要請に応える薄鋼板の製造体制が整った。
 自動車のボディに使用される深絞り用冷延鋼板の成形性は、1950年にLankfordらが加工硬化指数 ( n値 ) と塑性異方性 ( r値 ) に支配されることを明らかにしていたが、1961年にWhiteleyらがr値と深絞り成形性に正の相関があることを実証して以降、r値の重要性が認識されるようになった。とくにr値が鋼板の集合組織と密接に関係していることから、薄鋼板の集合組織制御に関する研究が盛んに行われた。
 1960年代に入ると、薄鋼板の国産化が進み薄鋼板成形技術の体系化が進んだ。この時期、リムド鋼の改良技術としてキャップド鋼が製造されるようになり、深絞り性が要求される用途にはアルミ(Al)キルド鋼が使用された。また、この頃導入されたオープンコイル焼鈍(OCA)技術によって鋼板の脱炭焼鈍が可能になったため、製品炭素量が30ppm以下の極低炭素鋼板が製造出来るようになり、鋼板の低降伏点化と高延性化が実現した。廉価なキャップド鋼でもOCAによってAlキルド鋼並のn値とr値のバラ
ンスが得られるようになり、表面品質面で優れる脱炭焼鈍キャップド鋼がフェンダーなどの外板に広く使われた。
 一方、自動車の足回りやフレームに適用される熱延鋼板に関しては、1960年代に780MPa級までのハイテン化がほぼ体系化された。この時期の主な開発対象はトラックフレーム用490 〜590MPa級ハイテンであり、加工性と溶接性の観点から、硫黄(S)と炭素(C)の含有量が規制された。当時の熱延ハイテンの強化は、厚板のHSLA(High Strength Low Alloy)鋼の設計思想を引き継いでおり、ニオブ(Nb)、チタン(Ti)、バナジウム(V)などの析出強化元素を微量添加して炭窒化物による分散強化が
図られた。
 1960年代後半、Tiを炭素(C)に対して化学当量以上添加することで高r値が得られることが見出され、C≦0.01%、Ti/C=10 〜20のTiキルド鋼での基本製造法が開示された。今日超深絞り用薄鋼板の代名詞ともなっている IF(Interstitial Free)鋼の原型である。Ti添加鋼板は、従来の鋼板に比べて細粒組織でありながら優れた深絞り性を有するのが特長である。Ti添加鋼は脱炭・脱窒鋼板に比べて成形可能範囲が著しく拡大するばかりか、鋼中のC、NがTiによって完全に析出固定されているため、ひずみ時効による材質劣化が無くなった。但し、Ti添加による鋳片の表面品質の劣化や再結晶温度が高いため高温焼鈍が必須であるなどの問題もあり、この鋼の真価が発揮されるようになるのは、1970年代後半以降における連続焼鈍プロセスの実用化と1980年代以降の極低炭素鋼溶製技術の普及によってである。
 この時期、自動車メーカーと鉄鋼メーカーと公的研究機関による薄鋼板成形技術研究会(通称プレ研)が発足し、自動車用鋼板に求められる基本特性や成形様式に適合した材料パラメータなど、鋼板開発の指導原理や評価尺度が次々と明らかにされ、その後の薄鋼板開発に有益な指針を与えた。

2. 発展期(1970年代〜1980年代)
 1970年代は、安全実験車 (ESV: ExperimentalSafety Vehicle) の国家プロジェクトで幕を開けた。高速事故安全車を日米で共同開発するもので、日本の主要自動車メーカーは1500ccクラスの小型車を対象として、当時の技術を駆使した実験車の試作に取り組んだ。1973年に実験車は完成したが実用化には程遠いものであった。とくに当時のハイテンを使ったプレス試験は惨憺たる結果であった。ESVはその後の自動車開発に多くの知見をもたらしたが、1973年と1979年の二度にわたって日本を襲った石油ショックによって状況が一変した。急速に自動車販売が低迷し、自動車メーカーは北米市場に活路を見出すべく低燃費化技術を最重要課題として取り組んだ。これに対し、鉄鋼メーカーは車体軽量化を狙いとした自動車用ハイテンの開発に本格的に着手した。
 こうした社会背景の中で、その後の薄板ハイテンの開発に一大変革をもたらしたのが、1970年代中旬に世界に先駆けて日本で実用化された連続焼鈍(CAL: Continuous Annealing Line)プロセスであった。それまでの箱焼鈍法では、P添加Alキルド鋼を用いるなどして精々340 〜390MPa級のハイテンが製造されていたのに対し、CALにおける急冷技術を駆使することで、フェライト相と硬質第二相からなるDP(DualPhase)鋼が開発され、340 〜1470MPaの広範な強度レベルを有する変態強化型冷延ハイテ
ンがラインアップされた。さらに、従来のP添加A1キルド鋼板に代わる鋼板として、焼付け硬化(BH:Bake Hardenability)性を備えたBH(Bake Hardenable)鋼板やIF鋼をベースとした固溶強化型の深絞り用鋼板などが開発された。とくにBH鋼板は、耐デント性が要求される外板パネル用途には極めて望ましい特性であるため、各社が精力的に開発を行った。
 1980年代は、極低炭素鋼の溶製能力の拡大と防錆鋼板の開発が加速された時期である。IF鋼を安価かつ大量に製造するため、極低炭素鋼を製造する真空脱ガス処理を主体とする製鋼二次精錬技術が進歩した。IF鋼は、連続焼鈍炉で高温焼鈍が可能になったことで、深絞り用鋼板の主要鋼種として汎用化した。さらにこの時期、欧米市場における冬季の融雪塩散布に対する車体防錆強化の動きが、北米市場への輸出を拡大していた日本の自動車メーカーの喫緊の課題となり、鉄鋼各社は1980年代に入って亜鉛めっき鋼板の生産量を拡大した。当時は、自動車の防錆性能の評価法が標準化されていなかったことと、プレス成形技術やプロセスライン制約などの点で防錆鋼板に対する要求品質が異なっていたため、鉄鋼メーカーは、溶融めっき鋼板、電気めっき鋼板、薄膜コーティングを施した鋼板など、各種のめっき鋼板の製造体制を整えて需要に応えた。しかし、1990年代に入って、欧米市場での実走行車の腐食実態解析や複合腐食サイクル試験結果などによって亜鉛目付け量の必要量が明らかになるに連れて、国内では厚目付け化に有利な合金化溶融亜鉛めっき鋼板への統合の流れが出来上がった。

 

3. 成熟期から新たな展開期(1990年代〜2000 年代)
 1990年に入ると地球環境問題がクローズアップされ、米議会で自動車排ガスの総量規制を目的としたCAFÉ(Corporate Average FuelEconomy)規制強化法案(1988年車を規準として1996年までに20%、2001年までに40%の燃費向上を義務づける)が提出された。鉄鋼メーカー各社は、既存の自動車用薄鋼板の相当量がAl、樹脂などに置き換わるとの危機感を抱き、再び新たなハイテンの開発に着手したが、亜鉛めっき鋼板をベースとした開発に変化していたため、この時期から開発される自動車用ハイテンは、強度-成形性-溶接性に加えてめっき性を考慮した取り組みが必須となった。
 さらにこの時期は、自動車の衝突安全性に対する社会的ニーズが高まり、車体の軽量化と安全性を両立させるため、980MPa級超ハイテン、残留オーステナイト含有型(TRIP:Transformation Induced Plasticity)ハイテン、Cu析出型ハイテンなど、特長ある冷延ハイテンが開発されるとともに、それらのハイテンの高速変形特性などが精力的に調べられた。一方熱延ハイテンに関しても、従来のDPハイテンから、伸びフランジ成形性を重視した、ベイナイト相を活用したハイテンや析出強化を併用したDPハイテンなどが開発された。
 しかし、ハイテン化のみによる車体軽量化が、⑴成形性の限界(形状凍結性、面ひずみ)、⑵特性向上の限界(軽量化目標と材質改善の期待値とのギャップ)、⑶剛性の限界(部材剛性上薄肉化に限界がある)をクリアする事が困難であったため、1990年代の自動車のハイテン使用比率は 30%前後に留まっていた。
 1994年以降、世界の主要鉄鋼メーカーが主導して鋼製車体の軽量化プロジェクトが相次いで展開された。ボディを対象としたULSAB(1994 〜1998)、内外板パネルを対象としたULSAC(1997 〜2000)、足回り部品を対象としたULSAS(1997 〜2000)、完成車を対象とした仮想実験ULSAB-AVC(1999 〜2002)などである。これらのプロジェクトで提案された車体軽量化の指針は、その後のハイテン開発および軽量車体構造開発に生かされた。
 2000年代に入ると、国内自動車メーカーの海外進出、世界的自動車メーカーの再編、自動車産業のグローバル化が加速する一方で、BRICs各国における自動車生産台数が急速に増加した。さらに、CO2排出規制目標を達成するためハイブリッドカー(HEV:Hybrid ElectricVehicle)や代替燃料など地球温暖化対策技術が急展開する一方で、車の安全性に関しても、Active Safety(予防安全)技術に加えて、Passive Safety(損傷ミニマム化)技術を装備した車造りが重視されるようになり、車体の部
位ごとの機能分化が進んだ。とくに、オフセット衝突や側面衝突などから乗員を保護するため、980MPa 〜1470MPa級の超ハイテンが骨格部品に適用されるようになった。一方で、プレス成形と焼入れ処理を同時に行うダイクエンチ成形法や高強度電縫鋼管の新成形技術など、薄鋼板の新たな二次加工技術も実用化されてきた。さらに、CAEを駆使した最適型設計、FEMによる薄鋼板の成形解析と予測、液圧やサーボ機構を駆使した高精度成形技術などの進歩も著しく、難加工性ハイテンの適用部位が拡大している。 2000年代に入って自動車のハイテン使用比率は急激に増加しており、340MPa級BH鋼板以上の薄板ハイテンについて見ると、今日既に50%を超している。

   以上 「自動車用ハイテン─その誕生と進化の足跡」
序章より抜粋

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