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平成27年 大阪支部「秋季歴史探訪の会」開催報告


(弘法太師・空海の開創1200年を迎えた聖地・高野山を探訪する)

 

 今回の探訪行は平成16年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録、また弘法太師・空海が開創して1200年とあって大賑わいの天空の宗教都市・高野山を訪ねた。去る11月14日(土)、総勢34名(内、ご夫婦7組)が、曇り空の大阪を南海電鉄の特急「こうや」号にて出発。ご参加者の中には今回も千葉・松戸市からの西田公也氏(K44)もおられて、幹事として遠方はるばるのご参加に先ずは感謝。
 沿線の紅葉を愛でながら、途中「橋本」を過ぎると途端に山岳列車の趣になり、急勾配を緩々と登りながら、その名も「極楽橋」に到着。ここでケーブルカーに乗り継ぎ、5分ほどで標高900メートルの高野山の玄関口「高野山」駅に到着。山上バスに
乗り替え、一山の総本山「金剛峯寺」へ。国内外の高野山真言宗の総元締めとして四千ヶ寺の末寺を持つという大主殿は幅54メートルの堂々とした建物で、落雷等の火事に備え屋根の上に大きな天水桶が置かれているのが眼を惹いた。落ち合ったガイドさんと寺内へ。寺内は何れも有名な絵師の手になる障壁画に囲まれた座敷の数々があるが、中でも歴史に名高い豊臣秀吉の甥、秀次が自刃した「柳の間」や雲海に見立てた白砂に屹立する雌雄一対の龍の巨岩を囲む140個の青い花崗岩の数々が見ものの石庭「蟠龍庭」は日本最大といわれるだけあって見事なものであった。寺を後に紅葉に染まる「蛇腹道」を「壇上伽藍」へ向かうと、ひときわ大きく朱塗りの二層の塔が出迎えてくれる。これが「根本大塔」で真言密教の根本道場として建立されたもので、創建以来何度も火災に遭い、現在の建物は1937年に建立されたもの。その内部は中央に大日如来、四方に金剛界四仏、周囲の16本の柱には堂本印象画伯の手になる十六大菩薩を配した曼荼羅の世界を立体的に顕したものだそうです。その他大小の堂塔を拝観した後「金堂」へ、ここは一山の総本堂として重要な役割を果たしていますが、度重なる火災によって現在は7度目の再建で1932年に完成したもので、A科の岡崎氏によると名古屋高等工業時代の校長であった武田五一氏がその設計に関われたそうで、全員、先輩の偉業に敬意を表すことしきりであった。この金堂の前に建つ「中門」は、開創1200年を記念して172年ぶりに再建されたもので、威容を誇っていた。「壇上伽藍」の拝観の後はお楽しみの昼食会場 宿坊「本王院」さんへと向かった。大広間にずらりと並んだ朱塗りのお膳は三の膳つきの本格的な精進料理で、肉食を禁じた戒律の中、工夫を凝らして一品一品丁寧に仕上げられた、ごま豆腐や旬の野菜の天ぷらなど素材の味を生かしたご馳走の数々に目と舌を十分に満足させられた。数人の若い修行僧達がご飯やお茶のお代わりにキビキビ立ち振舞う様子も、一般の寺院と違って敷居の低さを感じたものです。食事後「写経組」はその足で本堂で「般若心経」を唱えて心を整えたあと写経場へ。心静かに写経された各人の「般若心経」一巻はご本尊の前に奉納された。別の「霊宝舘拝観組」は少し離れた「霊宝舘」へ、一山に伝わる国宝、重要文化財の数々を収蔵し一般に公開している平等院鳳凰堂を模した建物です。
 今回は開創1200年を記念して、平素は「金堂」に安置されている密教の世界を具現化したと言われる「両界曼荼羅」、俗に血曼荼羅」といわれる曼荼羅図を身近に拝観できました。その後、両組は奥の院口で合流して杉木立に囲まれた約2キロの参道を行くと、その両側には20万基を超える墓碑の数々が立ち並び、ガイドさんにその主だった一つ一つを説明してもらった。かっては敵味方に分かれて争った戦国武将たちが一所に鎮まっている様は、大師信仰の厚さが伺えるものだった。雨がポツリポツリと降り出し一層荘厳さを増した参道を辿ると御廟橋に、ここを渡ると弘法大師の御廟地である。数万とも云われる燈籠を灯した「燈籠堂」の裏手に回り、未だお大師様が生きて瞑想されていると信じられている御廟の前で、ガイドさんの発声で全員が「南無大師遍照金剛」「々々」と三回声をそろえて唱えてお参りをすませた。その後、両側に企業の墓地などが立ち並ぶ別の参道を経て奥の院前でバスに乗り、高野山駅へ。駅の屋上の展望台からは、眼下にあるはずの紀ノ川や橋本の地が幻想的な雲海に沈んでいる風景を見届け、帰阪の途に着いた。
                                                                                                                           記:藤原康宏(E36)

平成27年・大阪支部「秋季歴史探訪の会」開催報告