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マレーシア-日本国際工科院の赴任を終えて


マレーシア-日本国際工科院の赴任を終えて

(MJIIT: Malaysia-Japan International Institute of Technology)

著者:名古屋工業大学客員教授 池田 章一郎 
  (前名古屋工業大学大学院工学研究科教授)

 

 2011年の春、名古屋工業大学(以下 名工大)に私用で寄った折に、川崎晋司先生から、名工大が、今度マレーシアにできるマレーシア-日本国際工科院(以下MJIIT)の化学系学科(Department of Environmental Engineeringand Green echnology; 以下EGT学科)の幹事校になっているが、化学系で赴任してくれる先生の推薦に困っている旨のお話をお聞きした。
マレーシアとは2006年以来、梅野正義先生、曽我哲夫先生の研究室を卒業された、現マラ工科大学(UiTM)のM. Rusop教授との関係で名工大在職中ほぼ毎年関連学会に参加させていただき、2009年3月に退職後も、技術顧問をしている、ベンチャー会社の㈱シオンの関係でも2010年に1週間ほどクアラルンプール(以下KL)近辺を訪問した等、少なからぬ縁を感じていた。
 そこで、だれも候補者がいないなら、私で良ければと名乗りを上げ、日本およびマレーシア側の合同の面接を受け、化学系の教員候補者の一人として選ばれた。2011年夏に、EGT学科の設立準備セミナーのためKLに幹事委員の川崎先生とともに行き、マレーシア側の先生たちと設立準備について議論した。ところが、同時に赴任予定の若手の先生が、ご都合でご辞退され、マレーシア工科大学(以下UTM)本校の承認審査の遅れで、11月ごろ赴任予定が、旧正月明けの2012年の2月初旬の単独赴任となった。
 MJIITは2001年にマレーシアの元首相のマハティール博士が、時の日本の総理大臣小泉純一郎氏との間で日本風大学の設置協力の合意がなされたもので、その後の紆余曲折をへて、2010年に日本側鳩山由紀夫元総理とマレーシア側ナジブ首相との最終合意で、10年越しでUTMのKLキャンパス内に一学部としての設立が確定し、2011年9月開校と決まった。取り敢えず精密機械工学科(MPE学科)と電気システム工学科(ESE学科)が9月から学生募集してスタートし、日本側から各科それぞれ一人ずつの日本
人教員が2011年中に赴任していた。EGT学科は2年遅れでのスタートが決まっており、赴任してからの主な仕事は学科の実際の開設に向けての色々な準備であった。
 学部と異なり、大学院は修士課程も博士課程も研究コースが2011年の9月からMPE, ESE,EGTの3学科に加え大学院コースのみの技術経営(MOT)コースが学生を集めてスタートしており、マレー系のUTM本校から移動した先生方は、すでにかなりの数の大学院生を指導されており、研究室は活気づいていた。小生も赴任直後に二人の博士課程のイラン人留学生を受け入れた。
 マレーシアの人口比率は、マレー系:中華系:インド系=6:3:1と言われているが、中華系の学生は概して勤勉なため、そのまま成績のみで採用すると、マレー系の学生が少なくなる恐れがあるためか、いわゆるブミプトラ政策が入試(選抜)にも反映されている。しかし、男女間ではそのようなことはないため、概して勤勉な女子の割合が、工科大学であるにもかかわらず、日本とは異なりすべての学科で大きく、ほぼ半数を占め、特にEGT学科の学部の化学プロセス工学(CPE)科では女子の割合の方が大きい。

 マレーシアでは他のムスリム国家と異なり、男女間の格差(差別)はほとんどなく、大学の教員も男女ほぼ同数で、特に若手のLecturerやSenior Lecturerは大半が女性という大学も見受けられ、研究会や学会などでは女性研究者が目立つ。また、事務方、教員にかかわらず、マレーシアでは、平均3名以上の子供がおり、妊娠・出産時の産休は出産前後各1か月ではあるが、女性職員はぎりぎりまで働き、出産後すぐに職場復帰が行われており、周りの環境および理解により、多産が維持されている。
 在職中にマレーシアの一般風習になじむため、職員の結婚式にはできるだけ出席するようにした結果、10回以上参加できた。写真2はMJIIT発足時からの事務職員の結婚式(披露宴)風景で、親族宅や、公民館、または他の公共施設で行われる。UTM KL校の講堂でもUTM教員のご息女の披露宴が行われ、多くの教職員が参加した。一般には、参加者は入れ替わり立ち代わりとなるのが普通で、延べ1000人ほどになる場合もあるようだ。
 MJIITでの講義は当初マハティール元首相が考えていた日本人教員による日本語での日本式工学教育を行う大学ではなく、規模が縮小されUTMの一学部として、講義も英語で行われ、授業カリキュラム、シラバス等もUTM形式にのっとった形になってしまった。マレーシアは第二次世界大戦前までは英国の植民地であったこともあり、マレーシア語の他に旧公用語であった英語も準公用語となっており、特に大学生は英語に関しては、何の問題もない。またマレー系大学教員の多くは英国やオーストラリアなどの英語圏に大学院留学して博士の学位を取得したものが多い。また、MJIITということもあって、日本で学位を取得した教員も数多くいる。
 MJIITではUTMの他の学部と異なり、日本語教育のカリキュラムが特別に組み込まれ、3年次終了時の期末休みに行われる12週間のインダストリアル・トレーニング(IT;インターンシップ)も優秀学生には日本の企業で受けることができ、日本に行けない学生もマレーシアの日系企業で受けることができるよう配慮されており、白樫教授(前長岡科学技術大学;2015年9月MJIIT退任)をトップとしたIT委員会が日本側および日系企業に強力に働きかけ2014年度はJICAのホームページ(http://www.jica.go.jp/topics/news/2014/20140905_01.html)にもあるように、15名の3年生が日本で12週間の研修を受けた。MJIITとしても初めてなので、2014年度は3パターンのITを行った。日本人教員に主にマレーシア進出の日系企業の各社に打診を行ってもらい、また有望な所は直接お願いを兼ねて研修の現場を見せてもらったりした。小生も2014年6月に研究上の打ち合わせ等で、マレーシア国民大学(UKM)の太陽光エネルギー研究センターのノルアシキン先生とMJIIT支援校の一つでもある東京理科大学の葛飾キャンパスおよび野田キャンパスを訪問した際、ちょうど研修に来ていたMJIITの学生たち、ならびに日本側の指導教員の先生方とお話をする機会があり、学生たちも日本でのキャンパスライフおよび研究環境を楽しんでいるのを感じ取れた。彼らはすでに光電気化学で著名な藤嶋 昭学長にもお会いして有意義な会談をしていたのを知り、東京理科大学のMJIITへの力の入れ方を痛感した。2015年度は予算の都合もあり2パターン(日本かマレーシアかどちらか一方のみ12週間)になった(途中まではIT委員会メンバーとして追跡できたが、詳細は、実施が小生の退任後のため不明)。

 2012年末からの為替レートの急激な円安化により円借款が対米ドルに対して、約1/3目減りしたうえに、2014年夏以降の原油価格の暴落により、産油国の仲間でもある、マレーシアにもその影響が大きく出て、国家予算の縮小をやむなくされ、教育関係予算も大きく削減された。円借款による機器購入費も日本製ならばそれほど影響は出ないが、欧米からの輸入品の場合には、円安とのダブルパンチに陥ってしまい、また、イランを主要国とした留学生も授業料減免の廃止や奨学金の減少に伴い激減したために予
定していた大学院生数も減少し、日本人教員定数の計画途中での見直しが行われ、MJIIT特有の日本式研究システム(講座制)を取り入れたイノバティブ講座(i-Kohza)の総数も50から31へと減少せざるを得なくなっている。(2015年11月現在、既存のアソシエート2講座を含み19講座)
 小生も赴任後約半年を過ぎてからエネルギー関連の講座の設立を申請したが、ジョホールバルにあるUTM本校に既存の研究グループとの違いは何かという点で、数回の内容変更を要求され、化学エネルギー変換応用(ChemicalEnergy Conversions and Applications, 略称ChECA)講座が承認されたのは、赴任後1年経過してからであった。
 化学関係学科のCPEコースがスタートしたのは2013年9月で、30名の募集に対し一年生28名が入学した。化学系ということもあり、女子学生は16名と男子学生より多い。募集定員が60名になった2014年は56名、2015年は61名とほぼ定員を満たしたが、1,2,3年すべてがマレーシア人で留学生は0名である。他学科は数名ずつの留学生がおり全学年合わせて、イエーメン(3)、スーダン(2)、エジプト(3)およびトルコ(1)からの留学生がいる。国際化を目指しているからには、さらに多くの留学生の勧誘が必要ではある。大学院の方は留学生が多く、総勢413名の内、約100名が留学生で、イラン(36)、インドネシア(23)、バングラディッシュ(7)が多く、日本からも2名在籍している(いずれも2015年10月現在)。

 小生のCPEコースの講義は3年次から予定されており、残念ながら学年進行のため、正式の学科の講義は在任中はなかったが、大学院生向けのResearch Methodology、学部全学科1年次向けのNingenryoku(人間力;環境工学の一部分担)、有機化学実験&分析化学実験の一部分担および日本語の補習のサポートなどを経験した。2015年2月に正規雇用期間が終了した後、3か月間の客員教授期間中に、CPEコース2年生の「化学プロセス工学のための物理化学」の主として溶液化学と電気化学分野の講義(写真3)を他の2人の先生とともに行い、6月にはその最終試験にも退任後ではあったがオブザーバーとして参加する機会を得た。写真4は最終試験会場の様子だが、講堂に数学科・学年まとめて、かつ違う科目の試験が行われるという日本とは異なった方式に戸惑った。
 小生赴任終了後の2015年10月にはESE学科とMPE学科の学部第一期生の卒業式が行われ、両科合わせて73名が卒業した(入学時より人数が増えているのはディプロマーからの編入学生がいるため)。残念ながら、CPE学科の最初の学生の卒業式は2年遅れのMJIITプロジェクトの最終年度の2017年10月となる。その頃にはMJIITのみならずUTM本校もかなりの変革が行われているかもしれない。

 いずれにしても、マレーシアは若く活力のある国であり、2020年までに先進国入りを目指しており、その前途ある若者たちの教育の手助けが出来たのは、教員冥利に尽きた。

 

写真1.竣工直後のMJIITの10階建ての建物。左奥にKL名所のツインタワーとKLタワーが見える。

写真1.竣工直後のMJIITの10階建ての建物。左奥にKL名所のツインタワーとKLタワーが見える。

 

写真2:MJIIT女性職員の結婚式風景

写真2:MJIIT女性職員の結婚式風景

 

写真3:「化学プロセス工学のための物理化学」講義中の筆者

写真3:「化学プロセス工学のための物理化学」講義中の筆者

 

写真4:MJIIT期末最終試験風景

写真4:MJIIT期末最終試験風景